下町の袋物博物館

朝日新聞の東京版に目を走らせていましたら「竪川の川面に反射した柔らかな光がさす66平方メートルの小さな博物館」という文章が、きらきらッととびこんできました。

堅河は旧中川と隅田川を結ぶ川で、両国あたりをうるおして流れます。そのほとりに、小さな博物館、「袋物博物館」が生まれたというのです。記事に目をこらすと、その館長さんは八十一歳におなりの木戸好子さん、好子さんは墨田区両国に九十年続いてきた袋物の老舗「東屋」の三代目社長をつとめられた方で、いまは長女一江さん(六十一)の夫の詔一さんに社長のポジションをゆずりましたが、一念発起、家業の歴史とともに袋物の文化が手にとるようにわかる博物館を、ことし三月末に開いた、というのです。

袋物。どうしてなのでしょう袋物には魅かれます。身のまわりにいろんな袋物を置いてます。使ってます。ハンドバッグ、トートバッグ、ショルダー、リュック、ウエストポーチ……。ハンドバッグのなかを見ると、一にお財布、二に小ゼニ入れ、三に名刺入れ、四に口紅と手鏡などを入れた化粧ポーチ、ツゲの小さなクシも袋に入ってます。印鑑も袋のなかです。
数えてみたら日常何通りの袋物のお世話になっていることでしょう。

日ごろお世話になっている袋物に何かまとめてお礼をいいたい、ついでに実際こうした袋物をつくってこられた木戸好子さんにお話を伺ってみたい、博物館には何が飾ってあるのだろうとさまざまな思いがうず巻いて、ある日、友人と誘いあわせ竪川のほとりを訪ねました。

JR総武線両国駅から歩いて七、八分のところ、いかにも老舗らしい地味ながらシャンとしたたたずまいの「東屋」があります。らせん階段を昇った二階が博物館です。

記事にあったように、竪川の皮もに射す光りがガラス窓からそっと入りこむおだやかなスペース。入り口に白髪ゆたかな館長木戸好子さんの笑顔、サポートする和服の一江現社長夫人の笑顔。ふたつの笑顔に迎えられました。

飾り棚には、江戸時代後期のものと鑑定された煙草入れが異彩を放っていました。煙草入れも袋物のひとつなのです。実用というより、ぜいをつくしたアートというべきでしょうか。

壁には、袋物の歴史を簡潔に要約した説明文があります。「わが国の袋物の発祥はあの大黒様の大きな袋から」とユーモラスです。袋物にも盛衰があるようですが、ともかくひとびとの生活が安定し、暮らしをたのしめる時代には、袋物も多様になり多種になり、百花繚乱のにぎわいとなるようです。

平安時代はまさに袋物の時代で、香袋や上刺袋(貴族が大事な衣服を持ち運ぶとき使う刺し子をほどこした袋)、楽器袋や文書を入れる袋が生まれました。江戸時代には袋物が商工業として成り立つようになりました。そして明治以降、袋物は庶民の必需品としてひろまります。

何せ、紙幣が発行されました。財布、札入れ、ガマ口の需要がたかまりました。
「東屋」が両国に創業するのは一九十四年(大正三年)です。創業主木戸政吉。以来「東屋」が手がけてきたのは袋物とひとくちに総称されるなかの小物に限られます。小物というのは束入れ(札束入れ)、札入れ、名刺入れ、定期いれ、ガマ口、小銭入れ、カード入れ、キーケース、バインダーのついたノート入れなどで、ハンドバッグやカバンは除きます。
小物には小物をつくる技術が欠かせず、ハンドバッグは、一見ガマ口や小銭入れを拡大したもののように思われますが、皮革の選定から裁断のコツ、縫いかたの技術、まるで違っているのだそうです。

「東屋」は創業以来、札入れ、ガマ口、小銭入れなどの小物を専門に、小物にこだわって、小物の粋を作り出すことに力を注いできました。
好子館長は遠慮して「東屋」の九十年にわたる技術の集積である製品を、博物館には展示せず、その隣室において見てもらっていますが、手に触れればあたたかそうで、しっとりおだやかな風格を秘めた札入れ、小銭入れです。
袋物のふくろは“ふくれるもの”という意味と、デザイナーの森南海子さんに伺ったことがありますが、「東屋」の小物には、やわからかふくらみが感じられてふしぎです。実際にひとつ触れてみました。札入れです。ふたつ折り、小銭入れもついた札入れですが、見た目より軽く皮肌のぬめりが心地よいものでした。

好子館長そして一江さんが、ふたり同時に、ひょっとタメ息を洩らしました。
ケータイの“カゲ”というお話です。はじめは、!?という感じでしたが、こうなのです。ケータイが普及して大きくかわったことがひとつあります。ビジネスマン、ウーマンが愛用していたシゴト用の手帳の出番が激減しました。予定や電話番号やメモや、そんな大切な情報を、どんどんケータイに入れられる時代になって、ノートがリストラされてしまった!
「おかげで、ノート入れもいらなくなってしまったんです。私たちのヒット商品だったのに……」と一江さん。
思わざりき、はからざりきのケータイ異変、時代の波は嬉しいことも、悲しく辛いことも、連れてきます。
でも、長年つちかい、伝えてきた技術はすたれません。「東屋」はそれを商います。博物館は、袋物にかけてきた先人の情熱と、いまを支える職人さんのウデの冴えの、ふたつを見てもらう場所です。
「博物館をはじめてから私、八十一ながら元気が出て参りました」と好子さん。ゴルフにも行くようになりました。ホールインワンも出ました。

実は好子さんが結婚した「東屋」二代目の木戸昌平さんは、このあいだの戦争で還らぬひととなったのです。一江さんはその忘れ形見。そうして、あの東京大空襲の夜、一九四五年三月九日から十日朝にかけて、「東屋」のあったここ竪川のほとり両国は、したたかに空爆され、まちは炎上しました。

「奇跡的に、この一角だけが火の手から逃れました。女と年寄りしかいなかったのですが、竪川の水をバケツリレーして消しとめました」
しかし、その竪川は、やがて上流から流れてきた死者でいっぱいになったのです。
「東屋」を一人で背負うことになった戦後、好子さんは再婚しますがのち士別、でも家業を守り通してきました。
「これからは東屋ブランドをおこして、新しい時代を生きて行きます」
好子さんと一江さん。母娘は東京の下町っ子らしく前向きです。川面に夕日がうつりはじめました。それを機に、おいとましました。

袋物博物館は東京都墨田区両国一ノ一ノ七。月〜金曜日と第2・第4土曜日の午後一時〜四時、開館しています。お問い合わせは03・3631・6353まで
(「暮らしの手帖」11月号 掲載)